5/30/2009

強いユニットの作り方

強いユニットはいかにして作られるのか。それは強化の条件を満たすために何度も使うことである。これは一般的な強化の方法であるし、また正の循環である。多くのゲームでも再現可能であり、そのためにユニットを育てる楽しみがある。

それでは話を現実世界に戻そう。いかにして、有用であり、また優良な人材になるのか。答えはたやすい。ユニットを育ててくれるマスターにめぐり合うことだ。またはめぐり合うために自己を強化するしかない。それ以外の方法があるのだろうか?攻略本や育成読本のないこの世界において、いかにして強いユニットになるのか。それは、ゲームですら採用されている方法を使うしかない。多くの戦線に赴き、多くの戦火を潜り抜け、多くの知識を蓄え、それを存分に発揮して、より多くのものを手に入れるしかない。嘆くよりも先にすることがある。仇敵を倒すためには、嘆くのではなく、立ち向かうのである。
それでは、残酷だというあなたは本当にそういった人たちを救えるのか?立ち向かうのではなく、ただ嘆くだけの人を前にして、その人とともにあることを望むのか?負の循環は非常にたやすく発生する。停滞は静止するのではなく、負の循環の形態である。本当の意味の停止は変化とともに自らも変えることである。それが正の循環を発生させうるかどうかでのみ異なる。
では、問う。何があなたを強化するのか?
それは、何もかもである。何もかもを利用して糧にしようと思うならば、全てが見方になる。あるいはその逆も。苦難は福音である。ただそれがどこを見ているのかによって価値判断は変化する。人間の評価はすべからく現在からさかのぼって過去を評価する。つまり現在がよければ、過去の不幸は書き換えられる。では、拡張して未来がよければ、現在が肯定されるか?否、それは詭弁である。到来していない未来を善にするのは、現在から進展していく我である。未来と現在と過去は同軸において論じられるがその性質は異なる。それは離散集合にも似て、大きな隔たりを持つ。
強いユニットをみた人は何を思うのか。それをほしがるのか、それに匹敵するものをつくりだすのか?ほしがるものは他人にたやすく奪われる。他人がほしがらぬものは、我もほしがらぬ。
では、何をおこなうのか。人は物ではない。故に人がほしがるようなユニットを自らにひきつけるのである。自らとともに生きることを選ばせるのである。彼にないものを我は持ち、我にないものを彼はもち、二人が分かちがたくあることがもっともこのゲームを攻略する上で重要なことだ。この観点はゲームにはあまりない。あっても限定的で、ゲームの成立を阻害するほどではない。しかし現実はゲームではない。ゲームクリアというのは奇跡に近い。
人は機微優れれば優れるほど、腐臭に鼻が利く。腐臭はふたをしてもくさく、どんなに優れた処理者でも、その腐敗を止められない。一度負の連鎖が確定すれば、その運命を変えることは難しい。だから最後には力なきユニットともにマスターは世界の崩落を迎える。
ゲームというのはもっとも簡略化された現実の模式図だと私は考える。このようなものを否定する奴にろくな奴はいない。まったくなにも考えていないとしか言いようがない。私はそのようなユニットはほしくない。そして私がほしがるユニットは、多くの局面において、切り札あるいは別の切り札を強化するユニットである。このユニットは絶対的に必要である。捨て駒にするなどありえない。ほかのユニットを乱費するユニットは、いくらその効果が優れていても長期では使えない。また限られた局面のみでしか運用できない。
裏切りをおこなうユニットは、短絡的に考えればいらない。しかし裏切りをして悔しい思いをするユニットは大抵優秀である。むしろそうでなければ、裏切りとして認識できない。裏切り者というのはそういう意味で、非常に魅力的であり、そのマスターの力量を表すと思う。荒くれを有効に使い、裏切られる前に使い捨てる、その判断力こそがマスターに求められる資質である。
自らがユニットでありながら、マスターに求められる資質を意識することは、とても強力なユニットへと自らを変えることを可能にする。そしてそういうユニットこそが真に恐ろしく、魅力的である。たしかにそれぞれのユニットに役割があるが、すべてがこのようなユニットで構成されているとき、中途半端な隊は駆逐される。ただこの隊の弱点は、劣勢においては、もっとも簡単に分裂を起こすのである。すべてが賢しいということは、崩落しやすい。またすべてが愚かしいと一蓮托生に崩落する。
なにごとも過度ではならない。ちょうどよく分配し、あるいはバランスが取れる程度の余力のある組織は安定し、また崩れない。組織とは自己を保存しながら、拡大していくものである。組織としての持続を考えない組織は、ある価値がない。ただ捕食され排泄されるだけの供物である。
私はとりあえず、正の循環を起こし、ユニットとしての価値を高め、裏切りという交渉手段を秘めるユニットになろうと思う。だから金銭が問題ではないのだ。ただ私にひざをつかせるだけのなにかをマスターには求める。ただ、それだけだ。ただ私にともに生きていこうと思わせればいいのだ。

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