12/06/2009

コンテンツ、コンテナの話

どうもJudaです。
今回はコンテンツとコンテナの話を。
コンテンツをオリジナルでユニークなそれ自体では複製できないモノとします。それが「なにか」ということについては議論しません。
コンテンツをコンテナに格納すれば、複製可能になるとします。またコンテナに格納されたコンテンツを、別のコンテナに移し替えるこが出来るかどうかは、コンテナの性質になります。
想定している対象物はDVDやMP3です。
コンテナからデータを取り出せないのでは意味がありませんが、このコンテナがコンテンツを完全に取り出せることは保証しません。ただコンテナの存在意義としてそれがあまりにはコンテンツを損傷させるのでは意味がありません。完全に復元可能なものを特別にロスレスという形容をする場合があります。この場合にロスはコンテンツが本来持つ性質を損失しないという意味です。
問題を局所化します。
DVDはコンテナであり、それが内包しているコンテンツが映像やデータになります。通常の販売者はコンテンツをコンテナにいれて、販売します。ただし、このときにコンテンツを売る気はさらさらないです。このコンテンツをコンテナにいれて複写して販売しているので、コンテンツを売ってしまうと困ります。
しかし購入者はコンテンツを購入したと思います。このコンテンツを取り出し、別のコンテナに入れること、複写という行為を含めて権利だと考えます。この時点で既に販売者と購入者の間で意見の相違があります。売買契約から考えると販売者が優位です。このことは既に周知だと思われます。
コンテンツを鑑賞させるけれども、別のコンテナの中にいれることを認めないということは、映画でも同じです。またラジオでも同じです。別のコンテナに入れるときに、コンテンツの作成者は対価を求めます。
さてさてややこしいのは、コンテナとコンテンツは、その構造が入れ子になりうることにあります。この性質のために本来のコンテンツの製作者と利用者の間に介在する存在があることが想定されます。これがもっともややこしい。
すべてのコンテンツの製作者に権利を認めると、その入れ子構造のせいで最終的な利用者以外はすべて権利を持つことになります。オリジナルのコンテンツとしての権利を持つ人ほどそれが無断でコンテナに入れられることに対して、対価請求の機会を損失します。
では本来のオリジナルのコンテンツの制作者からそのコンテンツの権利を手にいれるということは可能か?
これは今までの議論をすっ飛ばしているが、コンテンツの売買というコンテンツの本質に対する問いかけなのだが、これが著作権の本質に直結する。またオリジナルを誰が所有するのかということにもつながる。
オリジナルの所有の問題はもっともややこしい。同一性の問題にもつながり、そこには正統性の話も関わる。正統性の話は歴史の問題であり、そこまで来るならば、それが根ざした背景や環境、文化すらも範囲に入ってしまう。仮に問題を簡素にするなら、何を売っているのかぐらいだろう。
結論から言えば、売っているのはコンテンツをコンテナに詰めることの独占的な販売権だけだろう。
権利というものは、あとから生まれた人為的なものであることを心に止めて置くことが必要だし、それを踏みにじることの代償についてはもっと配慮すべきだ。

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