7/15/2009

人工知能

どうもJudaです。
今日は、人工知能の話。

人々が本当に望んでいるのは、人工知能ではない。とても優秀な私だけの奴隷だ。
仮に人工知能が可能であるとすると、自身の意図していない行動を起こすようになることだ。自律的に活動するということだ。でも、人々が人工知能に期待するのは、人道的な奴隷だ。
空間を跳躍して、同時に離れた場所に点在する。遍くこの世界に存在することが究極の願いだろう。いわば、神である。
この目標を達成することに、知能はいらない。精密なフィードバック機構と規格化された外骨格だけが必要なのだ。機械はどこまでも末端神経の拡張でしかないので、この方面での拡張はもっとも人間的である。
自らの身体という鎖から放たれていることが目的であるので、この方向はとても利に適う。しかし別の欲求も認める。自分でない、自分と同等の存在の渇望。人は一人でできることなど限られる。議論やゲームなどの闘争に関するものは必然的に一人ではできない。
人は遊び相手、奴隷、代替品として人工知能を求めている。しかも自分と同等の知能でという制約付だ。その中で社会制度というものを考えるとなかなか面白いのではないだろうか。自己の制限付の代替品としての他者とか。
人工知能の究極のジレンマは、離散集合でしかどうしても処理ができないことだろう。

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