10/14/2009

不幸自慢はあまりよくない。

どうもJudaです。
事実として不幸自慢が日本で多いかどうかは知りませんが、自分はついつい根底にそういう含意のあることを話してしまう。私はこれを理性的には恥ずかしいことだと思っています。
なぜ恥ずかしいのか。それは、自分が愚かであることを周りに言い回っているからです。他の人が簡単にこなせるかもしれないことに自分は「これこれの苦労をしてやった」という。それは単純に効率が悪かったのです。そうではないとあなたは言うかもしれません。しかし「それはこのようにすれば実に簡単にできる」と言われたときに、胸がもやもやしてしまうだろう。苦労した自分を認めてほしいのに、その自分はのろまであったと指摘されるのである。このことにもやもやを抱いてしまう。自慢であるのにその本質が不幸に根を下ろしているので、その指摘に素直に従えなくなる。それはさらなる恥である。善意に対して、悪意をもって応えるのは、決して善きことではない。
しかしそれを知っていても、不幸自慢をする。それは不幸自慢が周りに許容される自慢であると言う側面もある。だが、許されるかもしれないが、その本質もネガティブだ。
できることなら、効率よく楽しくさまざまなことに取り組みたい。苦しいことが嫌いだということではなく、互いが互いを高めて引き上げるような環境が望ましいということだ。そのなかに、苦しいこともあるが、それは別にネガティブなことではない。方向転換のための抵抗と同じである。

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