6/21/2009

本音を語る?

本音を語る。
そう語っている時点で嘘かもしれない。そのことを明言しなくてはいけないことが悲しい。


間接的利害関係にあるものには本音を決して語ってはいけない。本当に利害関係にあるものに対して、それを語ることは実に狭い中で物事が解決するので、いらない心配がいりません。でもほかの誰かが介入したときには、その発言は訂正や補足ができません。

いまさら気づかされました。

だから私は本音を語ると言って、語るもので「本音」であるものは何もないのです。もはやあるのは、本音を語ると言って、誰かを誘導するための言葉のみです。本当はそういう振る舞いをしたくはないのですが、意図しない局面で秘密を公開されることを防ぐには、公開されている言葉について管理するしかないのです。誰しもが、他人の利益を守るようには振る舞ってはないのです。秘密の共有は仲間を増やすためには必要ですが、それがアキレス腱や弱点になるぐらいならば、いっさいの不利な要素を公開する必要性はありません。

なにもこれが不誠実だとは思いません。もし誰かがそれを言うならば、「私の本音が意図しない形で他人に伝わるかもしれない可能性を考慮せずに他人の発言を引用する貴方の存在が不誠実だ」と言わざるを得ない。むしろこのようなことを考えもせずに生きているくせに不誠実を語るなと「本音」をぶちまけたくなります。そして何も考えていないからこそ、わたしの発言の真意は結局は伝わらず、頭の固いやつということになります。他人に自分の発言が理解してもらえると期待する私のありふれた期待はもろくも崩れ去るのです。
よく考える人は、よくよく自分から発言することを嫌うのだなぁと思います。他人に言質を取られる不測の事態を防ぐには、それが一番です。

もはや酒など飲んで自身の正体を失う価値もなく、他者と「本音」で語り合うなど無意味です。私はそれを語りませんし、相手がそれを語るからと言って、私が自身の本音を語るべき理由になりません。問題は相手が何を語るのかです。それを誰一人、相手ですら保証できないのですから、自身を守るためには誰かに何一つ本音を語る理由がありません。

私が語れる本音とは、まったく業務に関係ないことや、自身の趣味の話、プログラミングの手法、設計や言語特性しかありません。他人はこのような私を「面白みのない人間」と評するでしょうけど、それを説明しても理解されると思えないので、またわかったとしても、本当の意図、「誰にもしゃべらずに墓場までもっていけ」を解してくれるとはまったく思えない。
だから私は他人が心底どうでもいいです。
だから「ファミリー」と自分が認めるものへの協力や援助は、無尽蔵です。
私はXXXxの人を「ファミリー」だとはいっさい思いませんけど。。。

0 件のコメント:

コメントを投稿