5/03/2009

元学生の反論

livedoor news - 最高学府はバカだらけ

まずこの主張の始めに雑誌と学力の相関関係がでてくる。
雑誌を読む(AERAや週刊朝日)という行為をしていないことと学力の低下にどんな関係がある?
ちなみに学力とは、学校制度の中で問われる試験での得点獲得能力がもっとも的確なパラメータだと思う。それは、これ以外のものの判定は現在の入試制度では問われない。その考えを裏付けるように、この主張は後半で入試制度との関係が出てくる。この人の主張の中で例に挙げられている雑誌を読んでいると成績が上がると思いますか?私は、そのようには思えません。問題意識を持たせることや、意見の多様性について知るという効能はあるかもしれませんが、どういう因果関係を通じて学力の向上などにつながるのでしょうか?私には非常に微弱な関係性しか認められません。

またこの主張の中で社会人とのかかわりがでてきますが、これはむしろ相対的には社会人が増えていると考えられるので不当であると思います。それに以前ほど近所での付き合いの中で大人とかかわり合いになることが少なくなっているとしても、ボランティアなどで結果的なバランスがとられていると思われます。社会での関係性の構築が苦手なのは、もっとも最小の社会である家庭の形態が変わっていることに起因するのではないでしょうか。
私の主張も若干飛躍していますが、社会構造の変化とコミュニケーション能力云々の間には明白ではないですが、それなりの相関があると思います。核家族化の進んだ社会でそこに生まれた子供たちが成長します。そして社会にでてきだした頃にこのコミュニケーションということが問題になってきているように思われます。

また教育というシステムに人々があまりに多くのことを仮託していると思います。なにかあればすぐ学校やシステムのせいにしますが、嫌だと思うなら、国の対応が悪いと思うなら、どうぞ別の手段を講じてください。具体的な改善案と収支計算と財源についてまで計画されているなら、そしてそれが確かに優れているなら、みなさん賛同するでしょう。違いますか?

結局持論を展開して、訳知り顔で「国が悪い」という結論を述べることは、ブロガも記者も大差がありません。記者とブロガの差異は、それが編集されているかいないかですが、この編集という行為もひとつのシステムですから、このシステムが妥当であるのかどうかということは、国というシステムを検閲するというお題目を掲げるものは自らにもその矛先をむけることが道理である私は考えています。

システムへの信頼はとても社会を動かすためには必要な要素であり、このことを指摘している哲学者もいます。ニクラス ルーマン
この人の考え方をもとにした社会学の理論をつかってわかりやすくしている記事がありました。
社会学の理論で斬る「ネットの不思議」

本当に学力の低下を憂いて記事を書いているのであるなら、当然ルーマンを引き合いに出すと思われるし、この問題を雑誌媒体を読まない=バカになるというような構図で簡略化して提示してしまうことは不適切だと思う。まぁ、バカがバカを笑っているだけという喜劇ならば、それに本気で怒っている私も道化なのでしょうw

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