4/25/2009

職業的ぷろぐらまー

先日、同期と一緒に食事に行った帰りに、本屋に寄った。
そのときに、プログラムの棚で楽しそうに本を選んでいたら、
「業務外でプログラムの勉強とかやる気しねーよ」と同期は言った。
まぁ、なんということはないごくごくありきたりの一言だ。業務外で勉強とか、働くとか、俺も嫌だ。なるべく避けたい。

私にはひとつ思うことがある…いや、いっぱいあるけど。
プログラムは経験と知識が物をいう。知らんものは書けないし、使えない技術じゃ意味がない。業務で楽をするために時間外で努力したり勉強をする。すべては楽をするために努力する。意味がちぐはぐかもしれないが、そういうものだ。全ては楽をするためだ。

楽をしているとたぶんもっとおもしろそうなことができるようになるし、くだらないことに関わらなくてもすむ。仕事の抽象度があがってくると余力が生まれてくると思う。

現在の仕事での評価の仕方が時間重視で計算されているので、それはとても大きな意味をもつ。仕事量が決まっていて、それに対して払われる金額が決まっていて、変数は時間しかない。このときに時間が短くなればなるほど、時間当たりの価値は上がる。より効率的労働しているということになる。企業としてはそれは望ましいことだし、時間給で労働力を購入しているので、効率的に労働してくれることによってより大きな儲けになる。ただこのときに、労働者は本当は逆に動きたいのだ。時間給であるが故に働き如何に関わらず給料は固定だ。なるべく労働しないようにするだろう。これは効率的に働くことへの動機付けがなされていないときには当たり前だろう。企業側はこの部分に対してより敏感になるべきだし、そのための動機付けを模索するべきだ。

個人的には基礎研究としての、ライブラリ構築やフレームワークの開発、チュートリアルやサンプルの充実がもっとも大きな効率を生むので、そういうことへの評価をしてもらいたいと思う。また環境的な面からもなるべく労働者が働きやすいように調整を行うべきだろう。あとは一度良質化した労働環境を下げることは、大きなマイナスを生む。通常ならそれは会社が傾いていることをあらわしているので、可能な限りそれはしないほうがいい。それまであったものがなくなることへの不満は予想以上に大きい。

話は戻るがライブラリの構築やまた基礎研究の整理は、長期的な目で見て、それらの情報を部分的にでも公開していくことは価値がある。現在ならHPへの掲載、あるいは書籍の発行である。勉強会を開くこともよいだろう。類似したことに関心のある人が集まるようになれば、それらの研究への価値が上がり、めぐりめぐって会社の価値が向上する。HPでの公開に関して言えば、サイトを利用する人から新たな情報の提供や提案がなされる可能性がある。直接的には金にはならないが、間接的に営業行為に結びつく可能性がある。なによりも名前を知ってもらえることは大きな意味がある。

HPの例でいえば、企業が情報を公開していることは、中小では稀である。しかしそこでしっかりとした情報が公開されていることは、稀であるが故にとても目につく。とても優位な広告活動である。しかも能動的なアクセスさせている点で、さらに情報の伝達率が高い。

事実、業務中もネットを通じて情報を集めることが多い。これらはすべて先人が情報をアクセス可能な状態にしてくれているからであり、この恩恵をただ受けているのでは、ただのROMでしかなく、それは道義的に下位の状態であると思う。

業務的にはライブラリの構築や調査内容を平易な書類にまとめることにも留意されているが、それによる評価の基準があいまいであるし、その情報を利用する範囲がわからない。また現在それらが使用可能な状態であるのか、それがどこにあるのかが不明確である。(なんでも訊けっていうけど、みんな忙しそうにしているから、訊けないですよ?)

さらにいうとどのライブラリの使用が推奨されているのか、またどのレベルでの開発が求められているのかを明確に示すことは、ある程度プログラムを組める人に対する指示としては妥当だと思われる。それは、そのレベルにあると思われう人は、自らライブラリを探してくるだろうし、プログラムを構築する際の選択肢も初心者に比べて多様になっていると思う。また真っ当なプログラマは「車輪の再発明」をしたくないものだ。つまりはなるべく公開されているフリーの外部ライブラリを使うとする。そのため、選択肢を制限するために、それらを指示することは妥当である。またその理由を説明することはプログラマにフラストレーションを溜めないために必要であると思う。「車輪の再発明」はなるべく避けたい。しかしそれが高速化、信頼性の向上である場合には、それは再発明ではなく、改良になる。これが重要である。再発明の強要ほど真っ当なプログラマを苦しめるものはないだろう。

話は戻るが、私は時間外でプログラムの勉強はよくする。それは楽をしたいがためだ。時間をかけて、くどくどしくプログラムをすることには何の意味も抱いていない。
可能なら楽をしたいし、可能ならプログラムを組みたくない。可能なら、100行以下で求められていることを終わらせたい。

労働時間が長くなるのは、嫌だ。それが雇われであるなら当然。労働力を売っているんだから、供給したくないときだってある。それを選択できるか、できないかは別の問題。買い手がつかないときもあるし、つくときもある。雇用主との間に、持っている情報や資金的な面での不平等はあるが、契約に関して一方的に買い叩かれる謂れなどない。そしてそれを主張するためには非常に効率的に仕事をこなすことが必要だ。相手に「ここしかない」と思わせることは、商業的には下策だ。特にこちらから売り込まなければならないときには。無限に買い叩かれる可能性がある。それは本当に最低な営業活動だ。

それで結局何がいいたかったのか。
要はオレは業務で楽をするってこと。あとは買い叩かれたくないので、若干駆け引きするよ!ってこと。

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