4/06/2012

iPhone開発の学習記録は有益なコンテンツになるのか

どうもJudaです。
iPhone開発の学習記録は有益なコンテンツになるのか?
有益なコンテンツというのが、後続の開発者を増やすという意味ならばアリなのかもしれない。

そもそも学習によって得られた経験を凝縮して記録することはどういう文脈で肯定されるのか、また否定されるのか。
否定される文脈は、知識の本質が秘密であることから考えると容易に想像できる。
採集された知識がそのまま力として行使可能な状態としてポテンシャルに置かれることを考えると、同様に知識をもつものが増えるとその価値が下がるというか普遍化してポテンシャルがなくなる。それは優位性を消す行為であるから、否定される。
では肯定される文脈はどうなるか。
採集された知識を他者と共有することで場を形成し、より深い知識を取得する機会を得るようにする。他者に共有される場が広がるほどにそこに再度情報を上げてくる他者が存在すれば、その循環はより深化する。つまり正の循環をもたらすトリガとなる。だから情報を共有する行為は肯定される。

肯定する文脈を採用するとして、如何なる情報が場にとって有益なのか?如何なるコンテンツも有益なのか?後続の開発者にとって有益となる情報が妥当であると考える。その時に有益だと思われるのは、

  • 特定の問題を解決するための手段
であると思われる。これに関してはどれぐらいの解決手順という期間ないしは規模を変数としてもつだろう。
  1. 単一問題の解決
  2. 一定条件下での問題の解決
  3. ソリューションの解決
規模のレベルは上記の3種で大別されるだろう。
コンテンツの有益か否かの問題は書籍を凡例に取れば理解しやすい。

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